台風が過ぎ去ったあと、出かけたのは車で30程の所にある川原。
男組はポケット図鑑を片手に虫を追いかけ、母は小さな秋を見つける散歩旅。
もう、正真正銘「秋」がやって来て、心は少し焦燥感。
恋する相手もいないので、
自分自身に浸ってみました。
今回は、そんなオバハンのつぶやきです。
暑さ寒さも彼岸まで
四季のある日本に生まれてよかった。
こんなことを思うようになるなんて、年を取ったなあ。
お彼岸の季節になると、その存在をアピールしだす彼岸花。
子供の頃は、花の形が毒々しく感じられ、なんだか近寄りがたかった彼岸花。
川原の両脇に、ポツンポツンと赤い顔を出し「もう秋だよ」と教えてくれます。
女も40過ぎれば、情緒ある日本の風景に酔いしれるばかりです。
お金を使わずに楽しめる木々と花。
自然は最強にコスパの良いレジャー施設なのです。
今日のレジャー費は、ガソリン代とコンビニで買ったお菓子だけ。
名付けて
ワンコイン週末!
暮らしは変われど、営みは変わらず
月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり
川を歩いていると、出てきたのはこんな言葉。
芭蕉さん、お久しぶりです、こんにちは。
月日は永遠の旅人であり、やって来ては過ぎ去る年もまた旅人である
と言うような意味です。
目の前を流れていくこの川の水も、カラスのつがいも、また旅人なのでしょう。
私も旅人、あなたも旅人、世界は旅人だらけです。
私の暮らしにかかわる家族や友人も、皆それぞれ旅人。
袖振り合うも他生の縁
さっき挨拶を交わした知らないあの人とも、挨拶を交わす縁があったのです。
運命の出会いだとか、根性の別れだとか、そんなものは最初から無いのかも。
コロナ禍で、人の命について考えることが増えました。
この1年半で、人々の生活は変わったけれど、根本的な「人間の営み」は変わらない。
人は皆、生まれて、そして死んでいくだけ
悲観的ではなく、楽観的にそう思いたい。
そう思えば、不安や焦りが無くなって、「今、ここに生きる」ことを楽しめるようにるから。
私の人生にはレールがある?
私の道は私が切り開く!
と思ってた若かりし頃の私。
怖いものなんてなかったなあ、と懐かしく思います。
そして、理想と現実の狭間で翻弄され、怖いものだらけだった30代。
あれから十数年、40代に入ると怖いものはまた少なりつつあります。
目の前に道があれば、ひとまず進んでみよう。
と思えるようになりました。
人生ケセラセラ~♪
なるようになるさ~♪
生まれてから死ぬまで、私の道は初めからあるのかもしれない。
とさえ思います。
川の流れに身を任せ~♪
川に落ちた葉っぱは、その身を流れに任せ、
葉っぱよ、お前はどこへ行く
と思ったところで、男組がバッタを片手にやって来た。
出会った頃とは少し、いや大分変った夫には、
貴方の色に染められ~♪
とは、ゴメンねあんまり思わない。
けれど、家族になったのも他生の縁。
こんな何気ない日常をいつか懐かしく思い返すことがあるでしょう。
過ぎ去ってみて、その本当の価値が分かることもある。
今、ここを過ごせていることに感謝したいと思います。
今日は、最初から最後まで「ナルシスさわこ」でしたな。
最後に一句。
ナルシスト、しんみり秋の、仕業かな
繊細さわこのひとりごと
秋の日は釣瓶(つるべ)落とし
釣瓶とは、井戸から水をくむときに使う紐のついた今でいうバケツのようなものです。秋の日が急速に暮れていく様を、手を離すとストンと井戸に落ちていく釣瓶で表現しています。夏の間はあんなに秋が待ち遠しかったのに、秋が来たらもう夏の日の長さが愛おしいのです。ああ言えば、こう言う、ブツブツ言ってるとすぐ冬がやってきそうですね。秋は秋を楽しむ、さて、今日は何をしようか。